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2011年03月19日
新しい総合学科高校でのジオパーク
引き続き、予断を許さない状況が続く東北関東大震災。リアス式海岸一帯が壊滅的な被害を受けていますが、その中で岩手県北部の野田村も甚大な被害を受けています。野田村は、明治期に同村の漁民が様似に移住するなどのつながりから、1998年に様似町と友好町村の契りを結んでいて、このたび、様似町から支援物資の提供と職員2名の派遣を行うことが決まりました。明日、職員が岩手に向けて旅立ちます。野田村のみなさんのために、ぜひがんばってほしいものです。
さて、話はガラッと代わり、先日、様似町の隣町の高校、道立浦河高等学校の先生お二人が私どもの事務所を訪れました。
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アポイ岳ジオパークのある様似町には、道立の商業高校が1校ありますが、生徒数の減から隣町の浦河高校との統合が決まっていて、平成26年度から総合学科としての新しい高校が誕生することが決まっています。その系列の一つに、「地域・文化」というカテゴリーがあり、アポイ岳ジオパークなど、地域の自然や環境に関する科目を学習するコマをつくりたいとのこと…。
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ジオパークは、地球科学や自然科学を通じた地域学をいかに子どもたちに伝えていくかということが重要な要素となっていて、私たちとしてもありがたいお話。まだ、構想段階とはいえ、いろいろな意見交換をさせていただきました。高校生が地域のジオ(資源)を学ぶことで、自身のアイデンティティの確立につながることがジオパークの大きな目標の一つだからです。
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様似に高校がなくなるのは、とてもさびしいですが、新しい高校で地域を学ぶ科目ができればまた新しい流れができるかもしれません。
日本のジオパークでは、すでに学校教育でジオパークを活用する動きもあります。それらを参考にしながら、地域学を高めていければと思います。(タク)
2011年03月17日
様似でも避難生活が続いています
東北では、救助活動、被災住民の状況、そして原発と予断を許さない状況が続いていますが、様似でも避難生活が続いている人たちがいます。
今回の津波で、床上浸水の被害を受けた、「特別養護老人ホーム・ソビラ荘」の入所者のみなさんです。その日は、近くの高台にある法敬寺へ避難した直後に、港から津波が施設に押し寄せて、職員の車などを押し流しました。
もちろん、今は潮は引いていますが、施設のボイラーが海水をかぶってしまったため、長期避難を余儀なくされ、56名がデイサービスセンターが入っている町の保健福祉センターへ移り不自由な生活を続けています。
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デイサービスセンターには、お風呂があるものの、慣れない環境でお年寄りの体調も心配…。ボイラーの取り換えには1カ月以上かかるそうで、明日にも比較的要介護度の低い半数の人は、近隣町の福祉施設へ一時転居することになっています。
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一方、ソビラ荘の周りは、津波がもってきた泥が一面に残って匂いもまだかなりあります。
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外壁は施設の職員さんが、ホースで汚れを洗い流していました。
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壁をよく見ると、津波が1m50㎝ぐらいまで達したことが分かります。
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ただし、ソビラ荘に隣接している、老人福祉寮「エンルム荘」はボイラーが無事であったため、畳の取り換えなど、内部の清掃も目途が立ち、明日から入寮者が戻ってくるそうです。
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また、港近くの漁組市場や水産加工場は建物もさることながら、冷凍庫などの設備が海水に浸かって使い物にならなくなるなど、大きな被害を受けています。
日高中央漁組様似支所の蓄養施設もこのとおり…。
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水産加工場の冷凍庫もすべて海水をかぶり、使用不能となってしまいました。
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岸壁近くの漁組の倉庫もシャッターを押しつぶして、中に海水が…。
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こうした直接的な被害のほかにも、一部流通が滞ったり、自粛ムードで飲食店の売上げが急減したり、経済的にもさまざまな影響が出ています。でも、東北のことを思えば…下を向いてはいられません。(タク)
2011年03月16日
心落ち着かないままのパンフ撮影2
さて、新しい観光パンフに掲載する街情報。
昨日のブログのとおり、町内の飲食店や小売店におじゃまして写真撮影を行いましたが、これと並行して様似の特産品(昆布やサケ加工品など)や前浜で獲れる海の幸などの写真撮影にも臨みました。
飲食店撮影の合間での撮影となり、けっこうバタバタしましたが、なんとかうまくいきました。
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町内の加工屋さんにお願いして集めたパッケージを並べてみると、「お~、様似もけっこうあるじゃん」。特に日高昆布のパッケージは加工屋さんごとにかなりの種類があることから、ピックアップして撮影することにしました。
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ナマ物も多少演出を施しての撮影…。
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また、町内の飲食店にお願いして、サケやウニ、ツブ、キンキなどの海の幸の撮影にも挑戦。季節ものだけに多少種類が限定されますが、なかなかゴージャスなつくりとなりました。
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王鰈(おうちょう)の名で知られるブランドカレイのマツカワもこのとおり…。Kさんありがと~。
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極めつけは、何と言ってもオレンジ色の輝きがたまらない「バフンウニ丼」。これら、素材のイメージ写真も使って、様似のウマイものを表現できるパンフにしたいと考えています。
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でも、大震災の津波による影響により、様似の磯もかなり攪乱されてしまい、これから旬となるウニも厳しい状況になると予想。様似産のウニ丼も今年は口にできないかもしれません。(タク)
2011年03月15日
心落ち着かないままのパンフ撮影
東北関東大震災。岩手や宮城の惨状を見るにつけ、また、福島の原発がどうなってしまうのだろうと、まったく心落ち着きませんが、かねてより予定していた観光パンフレットに掲載する、特産品や飲食店などの写真撮影に昨日今日の2日間、町内をカメラマンとともに廻っていました。
昨日、撮影前に通称・三角地と呼んでいる空き地を通り過ぎると、そこには、12~13日に集めた漂流物(?)が小山をつくっていました。港などにあった漁箱やパレット、網などが主なものです。
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ここに一時保管し、持ち主が使えるものを引き取りに来ていました。潮の関係で、まだまだ物が漂着しているので、しばらくは海岸の清掃が必要となるでしょう。
さて、気を取り直して、まずは名物タコマンマ(タコの卵)のカマボコをつくっている工藤商店へ。
社長にお願いして、作業風景をカメラに納めようというわけです。
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昔のカマボコは焼いて作ったそうですが、工藤さんのは蒸していてオリジナルとのこと。ふわふわの食感で、いくつでも食べられます。
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次は、50年の歴史を有する「おやき中村」へ。「中村おやき屋でしょ。」と言われるかもしれませんが、いいんです。「おやき中村」のほうがキレがいいでしょ。
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お母さんに、「ところで、何年から始めたのさ。」と聞くと、「いや~、それがよく分からないんだよね。私が小学校4~5年生のころだと思うんだけど。」「それ大事だから、決めた方がイイよ。4~5年生なら50年ぐらいでしょ。今年50周年ということにしましょ。」などと、テキトーなことを…。
約50年、おやきというより、どらやきに似た独特の型でおばあちゃんの代から続く名店なのです。
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続いて、新鮮な前浜の幸を提供してくれる花蘂(かしべ)水産さんへ。様似産の特大真ツブを特性ダレで煮込んだ「つぼ焼き」の取材です。直売所なのに、調理品も賞味できるスグレ店なのです。
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社長との話の中で、今回の震災で流通がおかしくなり、大変だと聞かされました。いくらおいしいツブがあっても需要が途絶えたり、向こうにうまく届かなかったり、影響は国中に広がっていることを実感…。
ツブの箱詰め作業も撮らせていただきましたが、一生懸命いいツブを送っても戻ってきてしまったことがあったそうです。
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また、観光パンフに町内の飲食店を紹介しようと、各店を訪問。マスターにお願いして、その店の一品を掲載しようとの魂胆なのです。取材した全部は紹介できませんが、少しだけ…。
せんりゅうさんの「ツブラーメン」
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味よしさんの「ちどりそば」
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アビヨンさんの「ジャンボハンバーグ」
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どれもおいしそ~ではありませんか。ぜひ、みなさんもご来店のほどを…。飲食店の皆様、ご協力ありがとうございます。また、今回ご紹介できなかったお店のマスター・ママ、ごめんなさい。
さて、この2日間の取材は、実はこれだけではないのです。昆布などの様似の特産品や魚介類などの素材もパンフに載せようと、それらの撮影も同時敢行しました。
その様子は、明日以降のブログでご紹介します。請うご期待!(タク)
2011年03月14日
未曾有の大災害、様似にも津波が...
3月11日に発生した東北関東大震災。テレビで特に東北太平洋岸の状況を見るにつけ、これが現実なのかと愕然とします。
北海道南部の太平洋に面する港町・様似町も、東北地方ほどではないものの、過去に記憶がないほどの大きな津波が押し寄せました。特に、様似漁港では、船や車などが押し流されたほか、多くの加工場や家屋が床上浸水する被害を受けました。
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正確な津波の高さは分かりませんが、陸繋島のエンルム岬の岸壁を見ると、4~5mはあったのではないでしょうか。
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海に近い中心地の大通地区でも、岸壁が切れている箇所や様似川からの逆流により、一部国道が冠水しました。
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幸いに、みなさん高台などに避難され、人的被害はありませんでしたが、様似漁港に隣接する特別養護老人ホーム「ソビラ荘」が完全に水につかったため、利用者のお年寄りらは、避難場所である高台の法敬寺、さらにはデイサービスセンターのある保健福祉センターに移り生活しています。
震災翌日(12日)には、漁業者や建設協会、町などが手分けしての片付け作業。ソビラ荘周辺は、押し流された車などの物や泥があふれ、撤去清掃作業に丸1日を費やしました。
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作業は翌日の13日も引き続き行われました。多くの物が波にもっていかれたらしく、ジオサイトの親子岩にも港から流されたコンテナが辿り着く始末。
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さらには、様似漁港西岸の防波堤には、漁船が乗り上げてしまいました。漁船も何艘かもっていかれたほか、港町の水産加工場も設備がダメになるなど、港町を中心に大きな被害を受けました。
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集められた膨大な量のゴミ処理など、今日(14日)もなお作業が続いています。でも、東北の惨状に比べれば…という気持ちでみんながんばっています。(タク)






































