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2011年03月10日
チョッコウさんのアポイ
様似町役場に隣接する中央公民館には、沢山の絵画が展示されています。「あーと」には全く疎い私は、「あー、いっぱいえがあるんだなー、おっきいなー」といった幼稚園児並み(以下?)の感覚でしかそれらを見ていませんでした。
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イッパイアルンダナー、オッキイナー、スゴイナー |
しかし、先日、ある人を公民館に案内した際、彼がある絵をみて「おっ、チョッコウさんですね」と一言。なに?チョッコウ?あっ、本当だ。北海道を代表する老舗菓子舗・六花亭の包装紙で知られる、画家・坂本直行(なおゆき)氏の絵です。ちなみに、氏は坂本竜馬の甥のお孫さんになります。
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| その絵は公民館入口のまっすぐ奥、突き当りにあります |
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| 確かに坂本直行、1966年作とあります |
さすがに氏の名前は私でも知っていますし、中札内村にある氏の美術館にも何度か行ったことがあります。しかし、何度もこの横を歩いたはずなのに、氏の絵だとは全く気付きませんでした。
この絵は、アポイ岳の登山道から眺めた、太平洋と様似の市街地を描いたものです。海に突き出す陸繋島のエンルム岬、そしてその奥にはソビラ岩と親子岩。絵の左側に「アポイより太平洋」とタイトル。「五・一一・」とあるのは日付でしょう。解説には1966(昭和41)年作とありますので、今から45年前の春に描かれたものになります。
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| そう言われれば、確かに六花亭包装紙風タッチですね |
ところで、この風景には確かに見覚えがあるのですが、氏が絵を描いたこの場所がどこなのか思い出せない。そこで、アポイ岳から撮った写真をいろいろ探してみると・・・、ビンゴ!ありました。ズバリ、7合目の上、現在、「馬の背」の標柱が立っているところでした。それまでの登りから一度平坦になるこの場所は、多くの登山者が一息つくポイントです。この風景を眺めたことのある方も多いことでしょう。
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| 描いたのはここで間違いないでしょう。上の絵と見比べてみてください。 |
ちょっと気になるのは、絵に比べて、下の写真では手前部分の緑色が占める面積が大きいこと。やはり、この45年間でハイマツが急速に勢力を伸ばしてきたことの証なのかも知れません。
ところで、氏が登った5月11日なら、アポイ岳ではショウジョウバカマやフイリミヤマスミレ、サマニユキワリなどが鮮やかに咲き誇っていたでしょうし、もしかしたらヒダカソウももう咲き始めていたかも知れません。今はまだアポイは雪の下ですが、今度アポイに登るときは、氏がどんな花を見て、どんな思いでこの風景を描いたのか、そんなことに思いを馳せながら登ってみたいと思います。
という訳で、また一つ、アポイに登る楽しみが増えました。あー、春が待ち遠しいなー。
(krmd)
2011年03月09日
かんらん岩と冬島昆布の良い関係...
3月7日に、北海道大学の北方生物圏フィールド科学センターと様似町が、科学技術の振興や環境保全、地域資源の活用、産業振興の振興など、様似町をフィールドにした幅広い分野での包括連携協定を結びました。(左:長谷川周一センター長、右:坂下一幸様似町長)
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包括連携協定って?よくわかりませんが、様似にある資源を北大の先生方が研究し、それを産業や教育などに結びつけようというもののようです。
例えば、冬島昆布。アポイ岳の養分をいっぱい受けて育ってるんだとよく言われますが、本当のところはどうなのだろうか?もしかして、アポイのかんらん岩が良い作用を与えてるんじゃないか?そんなことも研究で明らかになれば新たな付加価値となるのかもしれません。
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調印式の翌日は、先生方に実際に様似のフィールドを見てもらいました。アポイ岳ビジターセンターではアポイ岳の自然について説明。
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日高耶馬渓にあるジオサイトも見学しましたケド、「天気晴朗なれども風冷たし」。今年の春はとにかく遅いですね。
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コンデンサ用アルミ箔を皮膜加工している、日高エレクトロンの工場も視察しました。エレクトロンでは、皮膜処理のために必要な大量の電力の一部を、日本電工の水力発電から賄っています。
工場からは24時間、処理水の温水を冷却するために出る水蒸気が上がっています。(けっして煙ではありませんのでご安心を)
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様似特産のKさんのイチゴハウスも見学。
イチゴのように、包括連携の取組みが見事実を結ぶとイイですね。ジオパークでも、いろいろと連携できるとおもしろいかもしれません。(タク)
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2011年03月08日
この一歩は...
小さな一歩であるが、人類にとって大きな一歩である。と言ったのは誰だったでしょうか?
前回、前々回と紹介している日高王国事業(関東関西から修学旅行生を受け入れると
いう事業)で、ついに第1号が来町しました。と言っても今回はモニターさんです。
いきなり学生を受け入れる、というのは農家、漁家さんに負担となることから、まずは馴らし
運転として札幌在住の大学生をモニターとして受け入れました。
今回はモニターですので、宿泊後アンケートに答えてもらいそれを参考にして次回に生かす
ことが目的です。
来年、さ来年には修学旅行生が大挙して様似を訪れ「北海道と言えば日高。
日高と言えば様似、浦河だよねー」と修学旅行生の合言葉になる。
今日はその日のための記念すべき第一歩の日なのでした。
ちなみに次回は20日にモニターとして長沼町の小学生16名ほどが様似、浦河を訪れます。(302)
ブログですので顔出しはNGですが、とても可愛い性格の良い働き者のお嬢さんでした。受け入
れてくれた農家さんも「とっても良かったあ」の感想。
2011年03月06日
西日の円山の観音さま
春かと思えば、今日は朝起きると一面の銀世界。それでも、昼からは晴れ間がのぞき薄化粧の雪もすぐになくなりました。
日が傾いてから、観音山に行って来ました。いつもの展望台から下を覗き込むと、いつもの景色。正面の岩はソビラ岩で、昭和のはじめに築港で埋め立てられるまでは、海中に浮かぶ島(といっていいのか?)でした。
ここは、漁組や水産加工場、漁師さんのお宅などがひしめく港町です。
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その左手、東側には陸繋島のエンルム岬。様似漁港は、これら海岸の奇岩地形を利用してつくられました。漁港ですので、水深はあまり深くありませんが、小さいながらも貨物用埠頭(日通埠頭)もあります。少々、大き目の貨物船が係留されているところがそうです。
今の時期は木々の葉が落ちているので、眼下の街並みもよく見えます。写真は撮りませんでしたが、さらに当方に様似の中心市街とその向こうにアポイ山塊も望むことができます。
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観音山は標高100mほどの小山ですが、エンルム岬やソビラ岩と同じマグマが冷え固まったひん岩といわれる火成岩でできていて、その成り立ちから急峻な崖山となっています。全山、広葉樹に覆われています。
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山上には、ところどころに観音様の石像が置かれていて、それが山の名の由来となっています。麓にある蝦夷三官寺・等澍院中興の祖・塚田純田が、地元から寄進者を募って1895(明治28)年に33体の観音像を置いたのが始まりです。その後、観音像は何度か移転して現在の配置となったそうです。
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観音様の視線の先には、同じひん岩の「親子岩」。隣のソビラ岩とともに、アイヌの酋長親子の伝説が今に伝えられています。(タク)
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2011年03月05日
スプリング・エフェメラルとオリビンとシーフードカレー
今日の朝刊・地方版に載った福寿草の話題で、「そういえば、ウチの裏もそろそろ…」と思いつき行ってみると、「お~、出てる出てる!」
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日当たりが良くて、山影で風もあまり当たらないので、けっこう早くから顔を出すんでしょうネ。花言葉は、幸福・祝福だそうで、たしかにウキウキとした気持ちにさせてくれます。
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花が完全に開ききっていないのが、なお愛らしいデス。
そんな春の日ですが、港の日通埠頭では、「オリビン」の積出しが行われていました。天気はサイコーなのですが、「とにかく風がちべたい!」
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アポイ岳の裏庭・幌満で採石されたかんらん岩(主要鉱物であるかんらん石の学名がオリビン)の砂利(オリビンサンド)が積みだされているのです。新潟に行くとのことで、鋳物用でしょうかね?
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オリビンという名は、オリーブ色に由来します。まさに、オリーブグリーン。きれいに研磨すれば、地下深いマントルを思い起こさせるような深みのある緑となります。
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ところで、今日はまちの保健福祉センターで「親子食育教室」があるということで、家を出たのです。食育協議会のお母さん方の協力もいただき、親子でシーフードカレー作りにチャレンジです。サラダには、地物のフノリもつきましたヨ。
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保健福祉センターは通称「きらく」と呼ばれ、町の保健福祉課のほか、デイサービスセンター、社会福祉協議会も入った保健福祉の拠点施設です。
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お年寄りのためのワンストップ窓口・地域包括支援センターもこの中にあります。介護のこと、福祉のこと、何か気になったら、お気軽にご相談ください。
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JR日高本線の終着・様似駅のすぐ裏にある大きな建物。玄関前で出迎えるのは、ト~ゼン、かんらん岩の巨石モニュメントです。(タク)






















