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2011年06月22日
ボラレンがやって来た!
先週の土曜・日曜日、北海道ボランティア・レジャー協議会の会員17名が様似町を訪れ、アポイ岳再生地のササ刈りをしてくれました。今年で5年連続となり、地元ファンクラブとの交流も深まっています。
ボラレンの皆さんは植物好きが多いようで、登山道沿いの目立たない植物にも興味を示していました。(今アポイで盗掘の標的になっている?イチヨウラン)
次の日は、アポイ岳ジオパークのサイト巡りで、日高耶馬渓エリアの冬島の穴岩から角閃岩の褶曲~幌満峡エリアを満喫! ゴヨウマツ自生地から川に降りると、またまた興味をそそる植物が・・・一同、大満足の研修会だったようでした。
岩に上には、ハマナス、エゾカンゾウがきれいでした。(シカも無理らしい!)
岩石より花、花より団子・・・楽しくなきゃ続きません・・・同感です。
来年もお待ちしております。(オオハンゴンソウ抜きはどうでしょうか?)
マイナーな植物ですみません。上から、エゾノジャニンジン(私の大好きなハワサビ)、アポイタヌキラン(なぜランの名が?)、モウセンゴケ でした。 (horoman)
2011年06月21日
夏に突入のアポイに、身も心も...
今日、日本ジオパークの連載を行っている某アウトドア雑誌の取材案内のため、T学芸員とアポイ岳に登ってきました。
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ところがこの日の北海道は、今年一番の暑さ。様似も市街ではそれほどではなかったようですが、アポイ岳は登山口から山小屋まではセミの大合唱、山小屋からは直射日光が私たちに容赦なく襲いかかってきたのです。
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ということで、取材風景を撮影する気力もなかったので、登山道沿いの咲いていたお花を少しご紹介します。これは、ミヤマハンショウヅル(6合目付近)。
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アポイヤマブキショウマ(6合目付近)も咲き始めました。ヤマブキショウマとは葉の形や光沢に違いがあります。
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そろそろ終わりのアポイクワガタですが、馬の背下のガレ場にはたくさん咲いていました。
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アポイハハコも同じガレ場で花をつけ始めています。
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カメラマン泣かせのアポイカラマツ(8合目付近)もこのとおり。
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登山道脇の岩場の影に咲いていたチシマキンレイカ(8合目付近)。
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ミヤマナナカマド(8合目付近)。
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かろうじて咲き残っていたアポイちゃん(サマニユキワリ)。
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そうそう、忘れていましたが、一属一種のエゾコウゾリナも5合目付近から花開いていました。この他にも、エゾタカネニガナ・ヤマツツジ・ヒロハヘビノボラズ・ヨツバシオガマ・アポイアズマギク・ミヤマオダマキ・ハクサンチドリなどが咲いていましたが、省略します。
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それにしても、汗だくの登山でした。こんなに暑くて高山植物たちは大丈夫なのかしら…(タク)
2011年06月20日
運動会でアポイ登山!?
昨日、6/19は様似小学校の運動会でした。

今年から様似小学校と鵜苫小学校が合併したので、町内唯一の小学校運動会となりましたが、初夏らしい日差しの中、「勝利というゴールに向かってかけぬけろ!!」のスローガンのもと、みんな一丸となって力いっぱい頑張っていました。
さて、下のプログラムの写真を見て、何か気がつきませんか?

単走(徒競争)や玉入れなどのオーソドックスな種目の中で、ひときわ輝く種目が!

なんと、「アポイ登山」です! そうです、様似小学校の運動会では、3年生がアポイ登山で競い合うという伝統があるのです!
運動会で山登りとは、さすがアポイ岳ジオパークのまち、様似。3年生は3番目の種目「80メートル単走」が終わるとすぐさまバスで登山口まで移動し、登山開始。頂上まで競争しながら登り、その後、12番目の「おこせ!たつまき」に間に合うように下山してくるのです。なんとすさまじい種目でしょうか。

というのは、もちろん冗談。アポイ登山とは、上の写真のように垂直に立てた竹を登り、旗を取っていくという競争です。

紅白2組に分かれ(写真は白組)、下から順に1人1枚ずつ取り、リレーしていきます。

当然、後ろの子ほど高く登らなければならないので、きつくなっていきます。でも、みんなはだしで勢いよく登って次々と旗を取っていきます。

バトンの代わりにリュックを引き継ぐという芸の細かさが泣かせます。

これがアポイ岳の頂上。子どもたちにとっては、まさに標高810m級の高さでしょう。この競技、数十年間も続く伝統種目の一つです。
ちなみに今年は赤組が先に頂上の旗を取り勝利しましたが、白組との差はわずか。両チームとも本当に頑張り、頂上を制覇しましたよ。

運動会開始直後は頂上が雲に隠れていた本物のアポイ岳も、この競技が終わるころにはすっかり姿を現しました。まるで、こども達に声援をおくっているかのように。
(krmd)
2011年06月16日
アポイ岳情報07:6/16
今日は北海道日高振興局主催の盗掘防止合同監視登山の日でした。

道の関係機関、道警、役場そしてアポイ岳ファンクラブなどの総勢26名が3班に分かれて登山開始です。
私は幌満コースの班。このコース、昔は登山道として利用されていましたが、盗掘防止等のため現在は立ち入りが禁止されています。許可なく立ち入ると罰せられますのでご注意を。
さて、立入禁止になっているためでしょうか、道沿いには彼らの痕跡がいたるところにありました。

登り始めて、すぐにどーんと落ちていたのはこれ。そう、ヒグマのフンです。さらに進むと、

斜めに倒れたトドマツの皮が不自然に剥けています。これは…

ヒグマが爪でがっつりと引っ掻いた跡でした。私が手を伸ばしても届かない位置に爪痕がありましたので、もし立ち上がって引っ掻いたのであれば、かなり大きなクマでしょう。
さらにその先には、こんなものも。

キタゴヨウの樹皮がべろっと向けています。よーく見ると…

ヒグマの毛がもしゃもしゃくっついていました。おそらくここで背中をこすった跡だと思われます。このように、立木に爪をたてたり背こすりをしたりするのは、ヒグマが自分の存在を誇示するための行動だと考えられています。
実はこの道、別の用事で私は1週間前にも通っていて、その時、既に一番上の写真の斜めトドマツに爪痕はありました。でも、今日はさらに同じ木の別の場所に爪痕がついていたのです。つまり、この1週間の間にまたここをクマが通り、爪を立てたことになります。
また、写真はありませんが、途中ではマムシもいました。もしかしたら、この閉鎖され通行が禁止された登山道を悪い人間が通らないよう、ヒグマやマムシたちが守っているのかも知れませんね。
さて、無事にクマや怪しい盗掘者に出会うこともなくアポイ岳の頂上に着き、帰りはこのブログでお知らせする花の状況を確認するために、通常の登山道を降りました。

馬の背から上では、チングルマとミヤマオダマキが見ごろを迎えていました。

そして馬の背下のお花畑では、今年初登場!アポイクワガタがたくさん咲いていました。1週間前に登ったときはまったく見られなかったので、この数日のうちに急激に咲いたようです。これはしばらく楽しめそうかな、と思ったのですが、T学芸員によるとこの花は開花期間がとても短く、あと1週間も持つかどうか、とのことでした。全国のアポイクワガタファン!?のみなさん、早く見に来ないと、終わってしまいますよー。

これは馬の背から見た今日の風景。本来なら太平洋が望めるはずですが、今日は雄大な雲海が広がっていました。雲海の下だった様似の市街地は昼過ぎまでずっと曇りだったようですが、アポイの上は暑いくらいの非常に良い天気。この素敵な景色、頑張って登った私たちへのご褒美だったのかも。
(krmd)
2011年06月14日
派遣を終えて...
お久しぶりの302です。久しく登場してませんでしたが、みなさんはお元気でしたか?
去る5月24日から6月2日まで、様似の友好姉妹町村である岩手県野田村で災害派遣隊として活動してきました。
派遣は今回で8回目を数え、わたしと相棒であるO主査で16人目となります。出発の日、庁舎前で見送りに来てくれた副町長始め町職員30名へ派遣の決意を述べ(私の事ですので、最後までマジメにという訳にはいきませんでしたが)、午前8時35分に様似町を出発、行きは飛行機でひとッ飛び。千歳から青森空港へ45分で到着。
私たちの前陣とは到着ロビーで引継。彼らのほっとした顔が印象に残っています。
先日、第1陣から第8陣までの派遣組が集まり反省会をしたのですが、どの陣も青森空港で到着した仲間の顔を見たときが一番ほっとしたとか。私たちを迎えた両職員もきっと仕事の達成感を味わったのでしょうね。
彼らは野田村から車で青森へ、私たちは車のキーを引継ぎその車で東北を南下。野田村まで走ったのでした。青森着が午後2時。それから東北自動車を進み5時には野田村役場へ到着。村長、副村長、そして私たちに直接指示を与える総務課へとあいさつをし、その日は移動で終わりました。
2日目から本格的な仕事を開始。帰町後によく聞かれたの
が「何の仕事をしてきたの?」
一言で言いますと、日本中から送られてくる物資の仕分け作業です。
これは2階ギャラリーから写した写真ですが、あまりの多さに唖然としてる私の横で、野田村職員が「大分少なくなったなあ。ステージが見渡せるようになったからなあ。」
とつぶやいてました。ピークの時はこのダンボールの山脈が天井に届きそうなほどあったそうです。
衣類、食品、缶詰、米、歯磨き・石鹸等の日用品を始め、多種多様な善意が野田村へと集まって来ます。一度体育館へ集約されたそれらは、直接被災された方が取りに来るのではなく、混乱を避けるために、ボランティアがリクエストに応じて集め、被災された方へ届けられます。私たちは物資を選択、集めやすいように陳列するのが仕事です。
(こちらは留萌市からの派遣職員。うちのO主査と意気投合!)
野田村へは私たちと同様に他の自治体からも派遣職員が来ていて、北海道からは留萌市、留萌振興局。青森から弘前市が来ていて私たちはチームで仕事をしました。先ず手始めに食器の整理、陳列。無数のダンボール箱に詰められた無数の食器を一度箱から出して、種別毎に入れ直す作業を命じられました。
一口に食器と言ってもそこには「皿(大・中・小)」「ご飯茶碗」「丼」「小鉢(大・中・小)」「湯のみ茶碗」「マグカップ」「コーヒーカップ」「グラス」があるわけで、中にはその境界があいまいなものも
あったりして、置き場所がどんどんはばけていくのでした。
この食器、じつは役場側から他の自治体へ要請したのではなく、ボランティアか住民かがインターネットで「野田村には食器が無い」と発信したせいでこのように集まってきたと聞きました。
この情報化時代、役所が一元的に管理するのはなかなか困難なようです。
この作業を4日続けて、次のシリーズが子供用おむつのブランド分け。
子供用おむつはおかあさんそれぞれにこだわりがあるようで、テープ式、パンツ式から始まってパンパース、ムーニーなどなど。10通り以上の商品種類がズラッと並ぶとそれだけで、体育館の一角を占拠してしまいます。
娘がおむつをしていた時から約16年、今ではこんなに種類があるんだなあ、と自分の不勉強を反省してしまいました。
その後大人用おむつの整理、陳列までして任務から離れる日を迎えたのですが、災害により何も持たなくなった人と物資に囲まれて生きている私たち。私はもう一度、物との関わりを考え直し、
今よりシンプルに暮らした方が実は生産的に生きられるのかな、と考えされた日々でした。机の周りの書類も含めて、今はやりの「断・捨・離」をしようかな…。
北海道から、登別第一滝本の職員による炊き出しボランティア「温返し隊」
(302)













