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2025年10月17日
アポイカレッジ「文化財から見つめる等澍院」
10月17日(金)アポイカレッジ「文化財から見つめる等澍院」に行ってきました。
お寺や仏像が専門の道立美術館の学芸員による、蝦夷三官寺や様似町にある等澍院の文化財について講演でした。
蝦夷三官寺は江戸幕府が1804年に現在の伊達市・様似町・厚岸町に建立した3つの寺院の総称です。
▼初代の秀暁住職が蝦夷地に赴任する際に、陸路で江戸から佐井(今の青森県)に向かい、そこから船で蝦夷地に向かわれたそうです。
その際の私が気になった話として、
・途中の仙台領金成宿、八幡別当清浄院(今の宮城県栗原市にある金田八幡神社)の寺で今となっては幻となっている「薬師如来と十一面自在尊」を入手されたこと
・5月に函館上陸し、領地の範囲(勇払~幌泉)と、等澍院建立の場所が様似とわかったのだそうです。
▼なぜ、等澍院の本尊が「薬師如来」なのか?
等澍院の総本山は天台宗比叡山延暦寺で、天台宗の祖である最澄が自作した薬師如来が伝わっています。
江戸幕府にゆかりのある寺として、当初等澍院は江戸(今の上野)天台宗東叡山寛永寺の末寺。
東叡山寛永寺は、比叡山延暦寺を手本に、東の比叡山としてつくられた寺。
家康の側近の天海による建立。さらに徳川の菩提寺。
ということで、等澍院の本尊も薬師如来ということです。
▼ほかにも
仏像の見方、ほかの等澍院の文化財についても伺い、まだまだ話は尽きないのですが、またの機会に。
▼あわせて、10月1日~17日まで開催されていた、様似郷土館の企画展「蝦夷三官寺パネル&写真展」も見てきました。
蝦夷三官寺に関するパネル解説や各市町の写真が展示されていました。



