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2011年11月29日

他のまちもがんばってます!(新冠編)

 11月22日は「いい夫婦の日」でしたが、それとは関係なく

新冠町で日高観光資源再発掘モニターツアーが行われました。

 これは日高振興局が主催する事業で、日高管内各町の観光担当者と

旅行営業者が持ち回りでそれぞれの町の観光資源を発見していく、

というもの。初回はえりも、2回目が新ひだか町、今回が新冠町

の登場です。

 新冠の観光協会や商工会職員が作ったプログラムにそって、

私たちはバスで移動し、観光スポットの感想を記載していき

ました。

 新冠町がお薦めするスポットは冬期を除いて、植物観察、

絶景スポットの 「判官館森林公園」

新冠と言えば馬でしょう。馬好きにはたまらない「サラブレ

ット銀座」 お食事するなら 「レ・コードの湯」

 雨降りなら 「レ・コード館」! そして

 海だけじゃないぞ、山にだってこんないいところが

あるんだ「太陽の森・ディマシオ美術館」

の5か所でした。

 「判官館森林公園」は希少な植物が多く、夏場の植物

観察、鑑賞にはもってこいの場所。沼の上に架かる

木道をわたり、公園内を散歩すればそのままフットパス

を楽しめます。

 新冠八景web.jpg

(新冠八景にも指定されている代表的な景観スポット。)

断崖絶壁web.jpg

(この断崖は「2時間ドラマ」にでてくるような…。)

 眼下の鉄道web.jpg

(眼下に列車を見下ろすことができる。鉄男・鉄子にはたまらないポイント)

メモリアル看板web.jpg

オグリ碑web.jpgのサムネール画像

(名馬オグリキャップの記念碑が立つ「優駿メモリアルパーク」

道内はもちろん本州からの競馬マニアが訪れる。)

 

 最近の新冠町のイチ押しはフランスの幻想画家「ジェラール・ディマシオ」を主とした

美術館「太陽の森・ディマシオ美術館」です。海沿いを

通り過ぎる観光客を町内に滞留させる施設として期待されています。

特に高さ9メートル、横幅27メートルの超大作は体育館で

なければ収容できないサイズであり、まさにこの美術館の

ために描いたのではないかと思われるほどピッタリの

サイズ。これで入館料大人800円、中高生300円は安い!

たとえ美術・絵画に興味が無い人でも30分は楽しめます。

超大作web.jpg

調度品web.jpg

こちらはカフェスペースにおかれたアンティックな調度品。これまた

一見の価値あり。

※バックナンバー5月2日タク氏のブログ「ゲージツに触れてみるの

もいかが?」でも取材されてます。

 

来年度は様似の番。今から観光の仲間たちをどこに連れて行こうかと

楽しみに思案しています。(302)  

2011年11月26日

1に体力、2に体力、3・4がなくて5に学力?

今日は、毎年恒例の様似スポーツ少年団によるスポーツテスト会。サッカー、野球、柔剣道、スキーの各少年団が一堂に会しました。

スポーツテスト・スタート.jpg

種目は、タッチアンドゴー、幅跳び、腹筋、腕立て伏せ、そして5分間走。結果は、コンピューターで集計され、全国の平均値と比べることができます。


スポーツテスト・反復1.jpg

つまり、さまにっ子はもやしっ子か、それとも野生児かを測るテストという訳です。

スポーツテスト・腹筋.jpg

参加者は、幼稚園児から6年生までで、全員同じ種目に取り組みますが、それぞれの年齢にあった評価が下されるというシステム。つまり、6歳なら6歳の全国平均値をもとに6歳としての自分の体力度が分かるのです。

スポーツテスト・腕立て.jpg

毎年のことですが、子どもたちはより上の数字を出そうと、緊張しながらの挑戦。なかなか自分の力を最大限発揮するのは難しいものです。

スポーツテスト・ジャンプ.jpg

結構、少年団での練習よりも、普段どれだけ歩いて飛び跳ねているかがこんな場面で出るものです。通学や遊びでたくさん体を使って、1に体力2に体力…となってほしいものです。

さて、今日の駅前民宿ママのブログで、お孫さんたちがウチのアポカンで手芸したり絵を描いてくれたりしたことが載っていました。可愛がってくださりありがとうございます。読者のみなさんもそろそろ年賀状の準備に取り掛かるかと思いますが、特に地元様似の皆さんは、アポイちゃん・カンランくんをぜひ使ってくれるとうれしい…。もし、2人のデータが必要でしたら、お気軽にジオパーク事務局(役場商工観光課0146-36-2120)までお電話ください。(タク)

2011年11月25日

アポイの記念すべき1日

先日11/23勤労感謝の日、アポイ岳ファンクラブのみなさんと一緒に、ある作業のためアポイに登ってきました。

 

111123_雪の登山道.jpg

強い冬型の気圧配置となった前日は強風が吹き荒れ、量こそ少ないものの雪が舞った様似でしたが、ご覧のとおりアポイの登山道にもうっすらと雪が。ところどころでは一度溶けた雪が再凍結し、気の抜けない登山となりました。

 

111123_馬の背に登る.jpg

長いものを担いで向かうは馬の背の下。急登で火照った体に冷たい澄んだ空気が心地良い。

 

111123_ポール刺し.jpg

遠く様似の市街と海岸を望む現場に着くと、さっそく長いものを地面に打ち込み始めます。秋の日は短く、時間との戦いでもあります。

 

111123_ネット巻き.jpg

地面の下のかんらん岩に苦労しながら、なんとか安定するほどの深さにまでポールを打ち込んだ後は、黒い網を巻き巻き。

 

111123_1基目完成.jpg

小一時間ほどかかってようやく完成!

作っていたのは、シカから高山植物を守るための囲い柵でした。シカが入れない柵の中と、オープンな周りとの植物の状況を比較することで、シカによる植物への影響を評価するのが目的です。

 

111123_2基目完成.jpg

1つ作って要領が分かると、2つ目はスムースに進みます。「これでメシ食えるんじゃねえか」なんて軽口も。

 

今回はこのシカ柵を、下の方も含めて合計6基設置しました。アポイ岳でのシカの影響については、今後、アポイ岳ファンクラブと酪農学園大学とが共同で調査研究していく予定です。すぐに結果が出るものではないですが、この日はアポイ岳でのシカ対策の大事な一歩が踏み出せた、記念の1日となりました。

来年の花シーズンからは柵の中の様子もこのブログでご報告できると思いますので、お楽しみに!

 (krmd)

2011年11月24日

あやしい雰囲気の中...PR活動

 11月19日(土)。札幌市白石区のアクセスサッポロ

で「北のアメ横・11月の豊穣祭」が行われたことは、先に

「TAKU」氏が取材したとおりですが、同じ日にススキノで

「第1回ご当地アイドル・名産物大集合」が行われました。

 

これは「がんばろうすすきの実行委員会」によるイベントで

メンバーには福沢恵介氏も入っています。福沢氏と聞いて

ピンとくる人は素晴らしい。ほとんどの人は名前を知らない

でしょうが、ススキノに流れるあの歌。

 ♪ アイム ア ほっかいどうマン おやじのおやじがひらいた

土地だよ~おぉーい おぉーい ほっかいどう 

ほっかいどう♪のフレーズを聞けば反応される方も多いはず。

福沢氏はシンガーでありソングライターでもあるのです。

 当日はオリジナルの様似の歌も披露してくれました。

 福沢web.jpg

 このイベントのトップバッターとして登場したのが様似町の

「アポイちゃん」。ステージにのぼるなり「かわいい」の声援を

浴び、少々得意げ。

 DSC_1714web.jpg

 (袢纏を着て、MCを担当したのは「HOROMAN」氏)

 しかし場所がススキノにあるクリスタルビルの5階「スナック

エンペラー」であることから、清純派のアポイちゃんにとって

(?)の印象ですが、しっかりと様似のPRをしてきましたよ町長トップセールスweb.jpg

 まむ酢、魚醤、尻餅の物産品からアポイ岳まで。町長自らトップセー

ルスで様似の魅力を発信)

 他の出演者には復活宣言のために出演した長万部の「まんべくん」

 町の女子職員で構成される「別海ミルクガール」、千歳市の「シャ

オニャン」「札幌4SEASON(フォーシーズン)」などが参加。

 この模様は北海道新聞、朝日、毎日新聞やNHKやSTV、HBC

のニュースで放送されていました。

アイドルweb.jpg

 (上は中学生から下は小学生まで。最も熱心に応援し

ていたのは‥父兄の方々でした)

報道陣web.jpg

メディア好みのネタなのか、たくさんの報道陣が…

 (302)

 

  

2011年11月21日

日高開発の父 西忠義を訪ねて

突然ですが、だんだん形になってきましたね、浦河赤十字病院。この辺りではほとんど見ることのないビルクレーンですが、完成後は何階建てになるんでしょうかね?

日赤工事の様子.jpg

そんな建設真っ只中の乳呑みヶ原を後に、昨日向かった先は浦河文化会館。この日は「浦河開発の父 西忠義を訪ねる」と題して行われた浦河地域学講座に町外者ながらおじゃましてきたのです。先週、浦河町郷土博物館のYさんに参加できるか確認すると、「ど~ぞ、ど~ぞ。」と二つ返事でOKいただき、様似から参上した次第。

さて、文化会館から町のマイクロバスで向かった先は、ファミリースポーツセンター近くの浦河港を一望できる丘の上。

西忠義翁碑.jpg

デンと構える石碑には、「西忠義翁碑」の文字。西忠義(「にし・ちゅうぎ」と音読みで通称されますが、「ただよし」です。)は、明治35年に浦河支庁長(現:日高振興局長)に着任し、日高実業協会を創立するなど、開拓期の日高、とくに浦河の経済の礎を築いた人物です。

この西さんは、明治42年に転任となるのですが、その功績を偲んだ地元民によって昭和7年に浦河神社横に「西霊社」が造営され、それが翌8年には「西神社」に改称されて、生きながら神様になっちゃった人なのです。

この石碑は、昭和27年の十勝沖地震で損壊した西神社の代わりに建てられたもの。肝心の西神社はというと、現在は西舎にある「西舎神社」として遷座されています。

西舎神社正門.jpg

これがその西舎神社。なかなかのたたずまいです。

西舎神社本殿.jpg

ただ、社殿は少々傷みが目につきました。

西舎神社とイチョウ落葉.jpg

でも、イチョウの葉の黄色いじゅうたんがイイ感じでしたヨ。さて、浦河市街の丘の上にあった西神社がなぜ、遠く離れて西舎神社になったかというと、その理由はこれです。

種畜牧場メモリアルホール看.jpg

西舎の奥に広大な敷地を有する、JRA日高育成牧場。その敷地内にひっそりとたたずむのは、メモリアルホールを名づけられた旧日高種畜牧場事務所。

西忠義は、日高の産業や教育の振興に大きな足跡を残しましたが、その功績の最大のものが明治40年の日高種馬牧場の誘致でした。

種畜牧場メモリアルホール内.jpg

軍馬改良のための国有牧場設置を画策していた政府に働きかけ、見事その誘致に成功。当時、ろくに道がなかった静内以東の日高沿岸の道路整備を進め、特に渡船に頼っていた染退(シベチャリ)川(現:静内川)に明治39年橋を架けたのは、まさにこの種馬牧場を浦河西舎に誘致するためだったそうです。

メモリアルホールパネル.jpg

そんな西舎にゆかりある人物であったことが、西舎神社遷座の理由だったとのこと。

さて、バス一行が最後に向かったのは、西舎とは浦河市街を挟んで反対の荻伏地区。ここにある浦河役場荻伏支所前に立つ三つの銅像。

浦河役場荻伏支所前銅像.jpg

向かって右から、西舎を経て荻伏に開拓の鍬を入れた神戸のキリスト教徒開拓団・赤心社の社長の鈴木清。左が同社副社長で、移民団指導者の沢茂吉(しげよし)。そして、中央が西忠義です。

荻伏支所前・西忠義銅像.jpg

わずか8年間の在任で多くの功績を残した西忠義は、西霊社建立2年後の昭和9年に永眠します。ところで、この胸像の背後には、赤心社開拓団の心のよりどころであった元浦河教会がありますが…。

元浦河教会.jpg

この教会の名前は「元浦河」、そして荻伏を流れる川も「元浦川」。ともに浦河発祥の名が付いているのは、この辺りに江戸幕府の「浦川会所」があったことに由来するそうです。あ~そうだったのかぁ。

今日最後までお付き合いいただいた方、ありがとうございました。今回は自戒を込めて、「長すぎじゃ!」(タク)

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