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4.北海道初の国道「様似山道」と蝦夷三官寺「等澍院」

幕末の蝦夷地とその周辺は、諸外国、特にロシアの南下におびやかされました。幕府は、1798(寛政10)年の蝦夷地調査の結果、翌1799(寛政11)年に東蝦夷地を松前藩から取り上げ直接支配するとともに、東蝦夷地のうち日高山脈でさえぎられていた現在の様似町の幌満と冬島の間と、えりも町の目黒と庶野の間に2つの山道(シャマニ山道とサルル山道)を造ることを決めます。この2つの山道は、当時、日本の為政者であった江戸幕府が整備したことから、北海道の道路史を飾る最初の官営道路(国道)ともいえるものです。

様似山道開削の責任者は、後にシャマニ会所の詰合となる中村小市郎で、様似山道の南側の海岸線を通る現在の山中トンネルの愛称は「小市郎トンネル」と命名されています。

中村小市郎が開削する
様似山道風景

江戸時代は鎖国とキリシタン禁制が社会の根本でしたが、18世紀も後半になると日本列島はさまざまな外国との関わりを持つようになり、特に、蝦夷地はロシアなどとの関係が緊張し、ロシアが千島列島のアイヌの人々にキリスト教を広めているという風聞が伝えられるなど、幕府にとっては国是を脅かす侵す重大事としてとらえられるようになります。また、当時の蝦夷地には、出かせぎにきて死んだ人々をとむらう寺も僧もいませんでした。

そこで、幕府は人心の拠りどころなどの必要性から、シャマニ(様似町)、ウス(伊達市有珠町)、アッケシ(厚岸町)の3ヵ所に寺の建立を決め、1806(文化3)年、様似の等澍院《とうじゅいん》(天台宗)、有珠の善光寺(浄土宗)、厚岸の国泰寺(禅宗)の三寺が、まだまだ未開の地であった東蝦夷地の要衝に完成したのです。これが「蝦夷三官寺《えぞさんかんじ》」です。

  • 等澍院に参拝する人々

  • 松浦武四郎「東蝦夷日誌」より。
    等澍院に熊が現れたときの様子

国指定重要文化財/平成17年6月9日 様似町指定文化財/昭和58年4月12日

等澍院古文書

等澍院古文書は、開山住職秀暁の選任から11世住職徳弁に至るまで、主に幕府や他の寺とのやりとりについて書かれた文書類である。住職記13冊と什物張1冊、過去帳(霊簿)1冊が国指定重要文化財、他に書付(寺禄逓減法通知書)1通が町指定文化財となっている。

百万遍念珠箱

百万遍とは、僧や信者が集まり、念仏を百万回というほど繰り返し多く唱えることを言い、その時に使われる大きな数珠や、念仏の回数を数えるための器具がついた入れ物を百万遍念珠箱という。

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