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3.近世物流路がもたらした北の繁栄

 約200年前、江戸時代の後半には全国各地で特産物が作られ、商品として各地に運ばれるようになりました。商品の流通はそれまでの陸路の他に、大量の産物や商品を一度に運べる船と航路の時代が一気にやってきたのです。

 幕府は江戸や大阪と蝦夷地(当時の北海道の呼び名)を結ぶ航路を開設し、瀬戸内海から日本海に出て沿岸を北上する「西廻り海運」が飛躍的に発達しました。松前や箱館(現在の松前町、函館市)を拠点とする海運は、蝦夷地の主に太平洋岸に太く伸び、北の各地の繁栄を築いていくことになります。

小樽市博物館 林コレクション

アポイ岳ジオパークの代表的なジオサイトの一つ、エンルム岬は、かつて島であったものが砂州により陸続きとなった「陸繋島」。北前船などの帆船が海を駆けていた江戸時代には、まさにこの地が日高沿岸の良港となり多くの人々が往来しました。1799年幕末の激動期、江戸幕府は松前藩に代わって東蝦夷地(太平洋岸)を直接支配するため、各地に会所を設けます。エンルム岬にもその一つ「シャマニ会所」が設けられ、幕府直轄による交易や行政が展開されました。

  • 北海道歴検図 「様似」より

  • 「東蝦夷夜話中」より

高田屋嘉兵衛、アポイを望む

太平洋岸航路の中間地点で、難所の襟裳岬手前に位置する「シャマニ(様似)」は、命がけの航海を続ける商人らにとっては畏敬の地。当時の様子を描いた司馬遼太郎の小説「菜の花の沖」では、大商人・高田屋嘉兵衛《たかだやかへえ》がエンルム岬とその背後にそびえるアポイ岳を見て、「神々の国」と言い切ります。

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