ブログ
2011年01月13日
我が家の自然
昨年の暮れに待望のデジタル一眼レフカメラを購入しましたが、例年にない大雪のため、辺りは真っ白-何か被写体がないかと探していたところ、我が家の裏山には昼夜を問わずシカが出没し、玄関を開けると目が会います。最近は逃げることもなく、悠々と草を食べています。
先日、玄関前の雪かきをしていたら、カラスが騒ぐので上空を見たら、オオワシが飛んでいました。目の前の樹ではオジロワシが食事中で、カラスがおこぼれを狙っていました。
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| いつも6頭の御一行様 |
オジロとカラス~何を食べているの? |
今冬も町内のあちこちで渡り鳥を見かけますが、例年よりワシタカ類が多い気がします。見どころは、鵜苫国道沿いの山側、岡田の様似川沿いなどですが、車を運転しながら見るのは危険ですので止めましょう。
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| 裏山のノスリ | オジロワシ(岡田) |
オオワシ(岡田) |
※ ところで、今年になって我課のスタッフが1名減となって寂しくなりました。(特に甘系のおやつが寂しい……) (HOROMAN)
2011年01月12日
美しい景色は、悠久の大地の歴史
今はパソコンで何でもできるんですね。先日、ネタさがしに様似市街を見渡せる丘陵地に行ってパノラマ用写真を撮ってきました。
様似市街は、陸繋島であるエンルム岬へ伸びる丘陵地により東西に分断していて、最初に拓けた西の本町地区と、戦後発展した東の大通地区に分かれています。丘の上から写真を撮っているうち、東西の市街それぞれをパノラマ写真にできないかと、何枚かずつシャッターを切って帰ってきました。
持ち帰ったデータをパソコンにおとして、やり方を模索していると……とっても簡単に自動で写真をつなぎ合わせてくれました。あまりに簡単にできてしまったので、その勢いで、少し様似をご紹介します。
まず、西(浦河方面)に向かって眺める本町地区です。

様似は、左端のエンルム岬が天然の良港となり、北前船の中継地として江戸時代後期から拓けました。松前藩の古文書に、江戸時代初めに様似の山奥に金山があったことが記録されていますので、和人はその前から定着していたでしょうが、黎明といえるのは約200年前です。東蝦夷地が幕府の直轄領となった当時、エンルム岬の麓(今の消防庁舎)に「シャマニ会所」が設けられ、人や物の行き交いが盛んになりました。
写真左からエンルム岬、ソビラ岩、親子岩と奇岩が並んでいます。エンルム岬は、湾流の影響を受けた「砂し」の発達で地続きとなり、ソビラ岩は昭和の初めの築港により同様となりましたが、いずれももともとは島でした。これらの地形は、塩釜や対岸の観音山も含めて「ひん岩」と呼ばれるマグマが冷え固まった岩石からできています。
今から約1700万年前ごろ、太平洋プレートの沈み込みでこの辺りの地殻が圧縮され、それによりできた割れ目に下からマグマが上がってきたのです。海岸段丘が発達するこの辺りは、その当時海の底であり、軟らかい堆積岩は浸食によって削られ、硬い火成岩であるひん岩が残ったと考えられています。
移動の主役が海路であった時代はともかく、いかんせん広い後背地を持たない本町地区では、広がりを持てずに、戦後徐々に東の大通地区に人が移動していきました。
次に、東(えりも方面)に向かって眺める大通地区です。

大通地区は、戦前までは数戸の家があるだけの荒野でしたが、広い土地を求めて徐々に人が入り込み、様似の中心地となりました。国鉄日高本線の延伸や、幌満川の水力発電で得た電力を使って生まれた、東邦電化(現日本電工)の合金鉄電炉工場の出現も大きなはずみであったと思います。
市街の向こう正面には、アポイ山塊と呼ばれるアポイ岳・ピンネシリの山並み。左には、日高山脈南部の脊梁である楽古岳・十勝岳。天気が良ければ襟裳岬も右に遠望できます。約1300万年前に、プレート同士の衝突によりめくれあがるようにしてできた日高山脈。なかでも支脈であるアポイ山塊は、めくりあがった際の一番下の部分、つまりもっとも地下深いところから地表に現れたものです。「かんらん岩」というマントルの石でできていて、アポイの貴重な高山植物を育んでいます。
様似の町民憲章に、「私たちはアポイを仰ぎ、黒潮に鍛え育った様似町の町民です。」という一節があります。アポイはまさに様似町のシンボルであり、アイヌの人たちの時代や北前船の昔からこの地域のランドマークです。
アポイ岳ジオパークは、あるいはアポイ岳だけと思われている方もいらっしゃるかもしれませんが、そのエリアは様似町全域です。様似町がジオパークに名乗りを挙げる際、名称を「様似ジオパーク」とするか「アポイ岳ジオパーク」とするか、関係者で議論しましたが、様似町を象徴するのが「アポイ」であるとの想いから、「アポイ岳ジオパーク」となったのです。(タク)
2011年01月11日
正月はいいねえ。
1月を迎え、3分の1を経過しましたがまだまだ正月気分が抜けません。正月はいいですねえ、正月特有のリフレッシュ感がたまりません。過去の失策、不実行を忘れ、またイチからスタートできるように、昔の人は正月を作ったのでしょうねえ、きっと。
さて今回は私のブログデビューの日であります。奇しくも2011年1月11日の一並びの日であり、まさに何かを始めるには区切りとなる日。スタートするにはうってつけの日付けです。ちなみに本日様似町役場に婚姻届をだされたカップルもおりました。新たな門出を迎えたお二人に幸あれ!
格式の高い事は書けませんが「様似の今を伝える」「観光の視点を忘れない」「様似を離れた人に、懐かしんでもらいたい」をモットーに発信していきたいなあ、と思っていますのでヒマがありましたらクリックしてみてください。(302)
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今日のアポイ岳(午後3時) 手前には様似を代表するブロガーの民宿が見える |
2011年01月10日
57人が大人の仲間入り。またしてもアノ2人が...
雪をかぶったアポイ岳もきれいな晴天の1月9日(日)、平成23年様似町成人式が中央公民館で行われました。
そこで、昨年まで担当していた私も、今年はどんな雰囲気なのかのぞいてきました。
が、そこに例のアノ2人が…。
おチビちゃんたちなら、「わ~い、アポイちゃんだ。カンランくんだ。」と大はしゃぎするところですが、そこはきれいに着飾った若き紳士淑女たち。ちょっと引き気味の展開となってしまいました。でも、記念撮影を促すと、快く一緒に並んでポーズをとってくれました。
新成人のお祝いになったどうかはビミョーですが、式の記念品として、交通安全協会やアポイ岳ファンクラブとともに、2人の携帯ストラップも贈らせていただきましたし、様似を離れる人たちもHP見て様似のことをいつも思っていてくれたらうれしいです。(タク)
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2011年01月09日
町内の山中でなぞの痕跡発見!?
昨日、今年最初の町内近所の裏山散策?に行ってきました。
クリスマスと新年早々のまとまった雪で、山の中も30cmほどの積雪量になっており、つぼ足(かんじきなどを使わないで雪上を歩くこと)ではちょっと辛い状況です。でも、前回この辺りを歩いたのはまだ積雪の前だったので、景色もがらっと変わり新鮮な感じがします。
1時間ほど尾根を歩いた頃、山の斜面で見つけたのは…そこだけ雪がなく地面が見えている不思議な痕跡でした。

縦70cm横40cmくらいの小判型に地面が見えています。実はこれ、寝跡(ねあと)とも呼ばれる、エゾシカが休息した痕跡なのです。エゾシカがこの場所に寝そべっていたために、ここだけ雪が積もらなかったか、体温で雪が溶けたために、このような形ができたのです。よく見ると、小判型の手前側にシカの糞も写っていますね。もしかしたら、直前までここにエゾシカがいて、近づく私に気付いて逃げてしまった後なのかも知れません。うーん、私もまだまだ忍びの修行が足りないってことですね。(krmd)











