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2022年03月09日

歴史記録からみる様似町・近隣町の津波被害とアイヌ口碑伝説

2019年3月6日ふるさとジオ塾で話をした津波について伝えたいことです。

<隣町のえりも神社「地震海鳴りそら津波」記念碑>

 えりも町では昭和三陸沖地震津波の義援金の残額を使って碑が2つ建立され、襟裳神社と庶野駐在前で見ることができ、津波・地震の恐ろしさを後世に伝えています。この2つの碑については、電子国土WEBの地理院地図を見ると、地図記号「自然災害伝承碑」で示されています。

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<様似町のアイヌの口碑伝説~サマッキのクジラの骨と津波~>

 様似町新富地区から隣町浦河町上杵臼にかけて、横に長い山の峰の連なりがあります。600~700mほどのいただきがいくつか横に並んでいます。アイヌ語「サマッキ」は、横になっているという意味です。昔、大津波があり、クジラが打ち上げられたという言い伝えがあります【アポイ岳ジオパークガイドブック】

<歴史記録からみる様似町・近隣市町村の津波被害~三陸沖が震源の津波4つ~>

(1)安政3年8月23日 陸奥東方沖

・マグニチュード7.7、日高胆振渡島津波襲う

・えりも岬付近で山崩れ【宇佐美, 2003】

・浦河付近で500石積以上の船2隻転覆(※500石=75トン)【武者, 1951】

(2)明治29年6月15日 三陸沖(明治三陸沖地震津波)

・発生時刻午後7時32分、マグニチュード8.2

・地震発生後30分以上たって大津波が三陸地方を襲う

・宮城県から北海道にかけて津波の死者2万2000人、溺死ばかりではなく瓦礫による打撃が死因

・様似町は増潮のみで被害なし、えりも町で死者6名、家屋倒壊等【鏡味, 2006】

・津波はえりも岬で高さ約4m【宇佐美, 2003】

広報7月号_明治震源ss.jpg

(3)昭和8年3月3日 三陸沖(昭和三陸沖地震津波)

・明治の三陸地震の37年後、午前2時30分、マグニチュード8.1

・地震発生後30分~1時間で津波が三陸地方を襲う、北海道・宮城・岩手・青森死者3,064人

・浦河町及び様似町で津波による死者1名、えりも町で津波による死者12名。流出家屋、半潰、浸水、漁船流出【那須・高橋, 1933】

・庶野村(現えりも町)死者10名、小越村(現えりも町)死者3名【中央氣象臺, 1933】

・津波は地震発生後30分間の間隔をおいて3回来襲し、3回目には、その波高は14.2mにも達し、死者13名、負傷者56名、家・建物の倒壊90棟など総額34万円(現在だと約20億円)の被害【えりも町郷土資料館】https://www.town.erimo.lg.jp/horoizumi/i3iqro0000000591.html?channel=main

広報8月号_庶野地区の碑s.jpg

えりも町庶野地区にある記念碑

(4)東日本大震災による様似の被害

https://www.apoi-geopark.jp/other/column.html

 歴史記録を知ることは大事です。過去に様似町・近隣町で、人的被害を出している津波被害があるのですが、あまり知られていません。また、昔の地形(特に海岸線)がわかるような写真、津波堆積物らしき砂(木の根元にあったりします)を見たことがある方は教えてください。津波堆積物を知ることは過去の津波の記録を知ることにつながります。(カ)

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