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2012年02月23日
蝦夷三官寺が建立された背景は...ふるさとジオ塾⑩
2か月ぶりの開催となったアポイ岳ジオパーク連続講座「ふるさとジオ塾」の座学が、昨夜行われました。
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今回は歴史講座。以前にもご講演いただいた、北海道大学大学院の谷本晃久准教授をお招きして、蝦夷三官寺がなぜ設置されたのか、そしてなぜ様似にそのうちの一つ、等澍院が建立されたのかを地政学的見地から勉強してみようという講座なのです。
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シベリアからカムチャツカ半島を経て、千島列島を南下してきたロシアにより、初めて北方に「異国」を意識した江戸幕府が、宗教政策としてつくった蝦夷三官寺。太平洋岸に位置し、良港をもっていた様似がその政策の舞台となったわけです。
日本の鎖国の実態や、ロシア、中国の情勢など、広い視野から考える谷本先生のお話しに、来場者は興味深く聞き入っていました。
ところで、夜の講演を終えて翌日の今日。お帰りになる先生を等澍院にご案内してきました。
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その際、本堂で、住職にいろいろと宝蔵品を見せていただいたので、みなさんにも少しご紹介します。これは、国の重要文化財に指定されている「百万遍念珠箱」。
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そしてこれは、念珠箱で念仏をとなえるときに鳴らす真鍮の鐘だそうです。ひっくり返してみると、1830年代に越前の人が寄進したことが刻まれています。
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また、年代は不明なものの、同じ真鍮の仏具なども見せていただきました。
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そして、昨年移築された、様似町文化財第1号の護摩堂。新しくなったものの、建立当時の面影を残す唯一の建造物です。
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等澍院は水害や熊害、明治維新後の廃寺などにより4回(5回というべきか)の移転を経ており、建立当時の建物は残されていません。しかし、仏像なども含めて様似や蝦夷地の歴史を語る資料がたくさん残る、様似にとって貴重な文化遺産なのです。
谷本先生、ありがとうございました。また、様似にお越しいただき楽しいお話しをお聞かせください。(タク)









