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2012年02月21日
全国のジオ担当者が相互研鑽(秩父会議②)
前日ブログよりの続き…。
秩父会議最終日は、「宮沢賢治 青春の旅」と題されたジオツアー。大正5年、盛岡高等農林学校2年だった宮沢賢治は、地質調査でこの秩父を訪れいくつもの詩を残しています。その賢治とジオを結びつけるという、なかなか心くすぐるテーマなのです。
まず案内されたのが、小鹿野観光交流館。
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賢治が地質調査の際、滞在した旧寿旅館を改装したもので、賢治の詩や足跡、郷土芸能・小鹿野歌舞伎などが紹介されています。
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そして、ジオサイトの一つ、「ようばけ(太陽の当たる崖)」には賢治が残した詩が石碑となって残されています。
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「ようばけ」は、石碑後方の崖。新第三系の秩父町層が露出する巨大な崖で、多くの動物化石が見つかっているなど、賢治の時代から地質調査の巡検ポイントとして知られていました。石碑は、賢治とその友人・保坂嘉内の詩が刻まれていて、賢治のものは、夕刻の「ようばけ」観察後の帰宿の途中に詠んだものだそうです。
「さはやかに 半月かかる薄明の 秩父の峡のかへり道かな」
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その他、いくつかのジオサイトを見学し、最後は川下りで有名な長瀞(ながとろ)にある天然記念物ジオサイトへ。
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ジオサイトの解説は写真でご確認ください。さすがになかなかの露頭なんです。
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荒川河岸にある巨大片岩の露頭を上っていくと、そこには…。
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巨大なポットホール(甌穴)が…。ポットホールとは、くぼみなどに残された転石が川の流れで回転することで、徐々に周辺に穴ができる現象で、幌満峡でもここまで典型的なものではないものの見ることができます。
穴の壁面には片岩の縞模様がくっきりを現れ、石屋の面々も興味津々でしたヨ。
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その隣には、こんな小さな赤ちゃんポットホールもありました。
今回の研修会で話題となったのは、「ジオと暮らしとのつながり」。秩父も谷が深く利水が難しかったために米ができず、その代わりに発展した養蚕によって、秩父銘仙という文化が花開き、その銘仙をアピールするための祭りが今多くの観光客を呼び寄せています。また、相場に影響される養蚕は、明治時代に秩父事件と呼ばれる農民蜂起も引き起こしました。
ジオパークは石を見るだけでなく、それに影響を受けて生まれた私たちの歴史と生活そのものを学び楽しむもの。さて、わがアポイ岳(様似町)にはどんな物語があるか、みなさんはもうご存知ですよね?(タク)










